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乙女三十三観音(おとめさんじゅうさんかんのん)~宝澤山 西隆寺~

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更新日:2024年5月8日更新

[おとめさんじゅうさんかんのん] 乙女三十三観音 ~宝澤山 西隆寺~

乙女三十三観音

西方地区にある西隆寺の石仏群。このお寺の境内には、1970年代に制作されたという大小33体の石彫り観音像が安置されており、地域の人々に親しまれています。
この石仏群を制作したのは、西隆寺の住職だった故遠藤太禅住職と、その依頼を受けた石工師の鈴木マリ子・るり子姉妹。当時20歳代だった石工師姉妹が、住職の厚い信仰心を受け、長い時間をかけて完成させました。いずれの観音様も柔和な微笑みや優しい眼差しを見せており、3人の優しい気持ちが伝わってくるようです。
それぞれの観音様には通称があり、第一番は哀切かんのん様、第三番は母心かんのん様、第八番は恋慕かんのん様と呼ばれています。

宝澤山西隆寺

そもそも、西隆寺が作られたことの起こりは、弘仁2年(811年)に法相宗の僧、安竹という人が聖徳太子の尊像を松竹庵に安置したことから始まります。(場所は不明)その後貞元2年(977年)「銭森長者」と呼ばれた藤原保祐 が寺沢という地に松竹庵を新築し寺に改めました。そして明応元年(1492年)会津若松の天寧寺より開山傑堂禅師から7代の天附禅師の弟子、一気正元禅師に頼んで開山し、寺の名前は「宝澤山西隆寺」と改められ、曹洞宗に変わりました。その後文化13年(1816年)に現在地に再建され、今の姿に至ります。現在は23代禅苑弘佳和尚が住職としてつとめられています。
西隆寺には町指定の文化財に指定されている「聖徳太子尊像」、白河市に住んでいた鈴木マリ子、るり子姉妹により彫られた「乙女三十三観音」、また身代り水子地蔵尊、裏山には明治初年に建立され昭和50年に再建された子どもの守護神「岩倉鬼子母神」の御堂、境内近くには天正年間山内重勝により建立し何回か再建されている「平六観音堂」が佇んでいます。

鬼子母神例大祭 毎年5月5日は鬼子母神社において例大祭が開催されます。 鬼子母神の画像


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