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トピック「特別町民とテレサ・テン」

印刷ページ表示 更新日:2025年3月24日更新

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​ひとつの歌がつないだ三島町とテレサ・テンのこころの交流

「テレサ・テン」のこころのふるさとを受け継ぎ、絆を次世代へ

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アジアの歌姫として、日本のファンの皆さまに愛され続ける我が妹「テレサ・テン」。1995年5月8日、42歳の若さで急逝したテレサが眠る台湾の霊園には、多くの日本の方々が訪れてくださいます。こうして時が過ぎた今なお三島町がテレサとの絆を大切にしていただけることをとても嬉しく思います。私たちもテレサが思いを馳せた「日本のふるさと三島町」との交流を次世代へ繋いでいきたいと願っています。

董事長トウ長富(テレサ・テン実兄)の写真

財団法人鄧麗君文教基金会
董事長鄧長富(テレサ・テン実兄)

Profile

テレサ・テン​

テレサ・テンの写真

1953年1月29日生まれ 台湾雲林県田洋村出身。14歳の時に母国台湾でデビュー。東南アジア、香港と活動の場を広げ、日本でのデビューは74年で、2枚目の「空港」で新人賞を受賞。その後、円熟味を増した歌で「つぐない」「愛人」と人々を魅了、全日本有線放送大賞ほか数々の賞を受け「時の流れに身をまかせ」は日本で最大のヒット曲となる。70年代から80年代を中心に活躍。95年5月8日休養先のチェンマイで急逝。

アジアの歌姫「テレサ・テン」の日本のふるさと「三島町」

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テレサ・テンのレコードの写真

1977年、春の残雪が美しい3月。アジアの歌姫「テレサ・テン」が三島町を訪れました。それは、テレサ・テン8枚目のレコード「ふるさとはどこですか」のキャンペーンとして、当時三島町が全国に募集していた「ふるさと運動」の特別町民に申し込みをするためでした。三島町では町をあげて、日本デビューまもない外国人歌手を歓迎しました。テレサ・テンは、町民の温かいおもてなしと美しい自然に感動と安らぎを感じ、その後もここ三島町を「日本のふるさと」として親しんでいただきました。そのアジアの歌姫ゆかりの地を「歌姫音路」としてご紹介します。

つづく絆

三島町のPRイベントのテレサ・テンの写真

訪町後もテレサ・テンは三島町との交流を続け、東京で開催された三島町のPRイベントにも三島町特別町民としてお手伝いをしてくれました。ひとつの歌がテレサ・テンと三島町を結び、その絆はこれからも台湾との交流として続いていきます。
現在、只見線のビュースポットには、テレサ・テンの祖国台湾から、多くのお客様が訪れています。テレサ・テンの想いを忘れることなく、これからも台湾との交流を大切にしていきます。

三島町「テレサ・テン」ゆかりの地マップ

レコードマップの画像

訪町日:1977年3月16日(水曜日)・17日(木曜日) [宿泊先:宮下温泉ふるさと荘]

をクリックすると当時の写真・詳細がご覧いただけます。

福島県三島町「テレサ・テン」ゆかりの地マップ-テレサ・テン歌姫音路 早戸温泉つるの湯・霧幻峡の渡し 観光交流館からんころん 三島町役場 会津宮下駅 宮下温泉ふるさと荘 美坂高原 三島町生活工芸館 ログハウスどんぐり 第一只見橋梁ビューポイント

ふるさと運動 発祥の地「三島町」

三島町は昭和49年(1974年)より全国に先駆けて、都市との交流を目的に「ふるさと運動」をスタートしました。三島町民が自ら地域づくりに取り組み、それに共感する都会の方々とともに理想のふるさとづくりを推進するこの運動により、全国的に過疎山村振興策の大きな流れが生まれ、「特別町民制度」や「ふるさとの家」誕生のきっかけにもなりました。 三島町はこの地を「ふるさと」と思ってくださるたくさんの方々に支えられ、いまも様々な交流を続けています。

大林ふるさとの山カタクリ群生地の写真
大林ふるさとの山カタクリ群生地

奥会津編み組細工の写真
奥会津編み組細工

三島のサイノカミの写真
​国指定重要無形民俗文化財「三島のサイノカミ」

第一只見川橋梁の写真
​第一只見川橋梁

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